進む勇気は称賛される。しかし、退く勇気はなぜ評価されにくいのでしょうか。
私たちは、最後まで頑張ること、困難から逃げないこと、一度決めたことを貫くことの大切さを教えられてきました。しかし、勝算のない事業に資金を投入し続けたり、返済の見込みが立たない借金を新たな借金で返したりすることも、勇気なのでしょうか。
今回、突破ラボが取り上げるのは『撤退の本質』です。組織の判断、リーダーの責任、失敗との向き合い方を考えます。
なぜ撤退は難しいのか
事業を始めるとき、人は未来に希望を抱きます。成功するはずだ、努力すれば結果が出るはずだ。しかし状況が悪化しても、最初の決断への思い入れは残ります。
それまで費やした時間、投入した資金、周囲に語った目標、自分自身の誇り。こうしたものが撤退を難しくします。
大切なのは、過去に何を費やしたかではなく、これから何が起こる可能性があるかです。
撤退は、失敗を認める決断である
経営者が新規事業から撤退し、組織のリーダーが計画を中止すれば、周囲から失敗と評価されるかもしれません。そのため、人は撤退を先延ばしにしがちです。
しかし、先延ばしによって資金だけでなく、従業員の雇用や取引先との信頼まで失われる場合があります。
組織の未来を守るために、過去の決断を修正する。 それも責任あるリーダーの仕事です。
戦争が教える、撤退の残酷な現実
戦場では撤退が遅れると多くの命が失われます。それでも、占領地を手放したくない、作戦の失敗を認めたくない、士気の低下を恐れる、といった理由で決断が遅れることがあります。
撤退には、兵士の命を守り、部隊を維持し、戦力を再編成するという目的があります。撤退作戦そのものにも危険はありますが、守るべきものを見失って戦い続けることは、勇敢さとは別の問題です。
戦う目的を守るために、戦う場所を捨てなければならないこともあるのです。
経営者に必要なのは、始める能力だけではない
起業や新店舗の開設、新商品開発には決断力が必要です。しかし経営者には、事業を終わらせる能力も必要です。
赤字店舗の改善が見込めるなら継続には合理性があります。一方、需要が変化し、今後も赤字が続く可能性が高ければ、維持することで会社全体の資金を失うかもしれません。
撤退は、損失の見込み、資金繰り、従業員への影響、代替策を考慮した高度な経営判断です。
借金問題では、撤退の遅れが致命傷になることもある
一時的な資金不足なら融資によって事業を継続できる場合があります。しかし、収益構造そのものが悪化しているなら、借金で赤字を埋め続けることは危険です。
「どうすればあと少し続けられるか」だけでなく、「続けることで将来の損失はさらに大きくならないか」も問わなければなりません。
事業縮小、資産売却、返済条件の見直し、法的な債務整理などの選択肢には、それぞれ条件や不利益があります。税理士や弁護士などの専門家と検討することが重要です。
守るべきものは過去の事業計画ではなく、これからの生活や再起の可能性なのかもしれません。
撤退の判断を妨げる「サンクコスト」
サンクコスト(埋没費用)とは、すでに支払って取り戻せない費用です。
ある事業に1,000万円投資したとしても、「1,000万円も使ったからやめられない」という理由だけでは、継続の合理性を示せません。
判断すべきなのは、これから追加する資金に見合う成果が期待できるかどうかです。もちろん、設備や技術、顧客基盤など残存する価値も考慮する必要があります。
以前紹介した『ファスト&スロー』のように、心理的な偏りを自覚することが、冷静な判断につながります。
いつ撤退するかを、始める前に決めておく
事業開始前から、赤字が続く期間、資金繰りの水準、市場需要の変化、会社全体への影響など、撤退を検討する基準を設けておくことは有効です。
数字だけで機械的に判断するべきではありませんが、追い詰められてから感情に左右される危険を減らせます。
撤退は、事業計画が失敗してから考えるものではなく、最初から検討しておくべき選択肢です。
人生にも、勇気ある撤退がある
自分に合わない仕事、将来性の乏しい事業、心身を消耗させる環境。長く努力してきたという理由だけで続けていることはないでしょうか。
困難のたびにやめれば成果は得られません。粘り強さが必要な場面もあります。だからこそ「何のために続けるのか」「その目的は今も変わらないか」「別の道でより大切なものを実現できないか」と問うことが重要です。
一つの方法を諦めることで、別の方法から夢に近づける場合もあります。
突破ラボがこの本を紹介する理由
突破ラボでは、努力すること、失敗から学ぶこと、常識を疑うこと、物事を別の角度から見ることを取り上げてきました。
しかし、突破するためには引き返すことも大切です。進んだ道が行き止まりなら、壁を壊すだけでなく、引き返して別の道を探すこともできます。
『水平思考の世界』が問題を見る角度を変える重要性を示すなら、『撤退の本質』は選んだ道を変更する決断について考えさせてくれます。
突破ラボの立場|進む勇気と、退く勇気
ここまで撤退の重要性を考えてきました。しかし、突破ラボは撤退が常に正しいとは考えていません。
困難を乗り越え、最後まで挑戦したからこそ成功をつかんだ人もいます。一方、早期に撤退したことで人生や事業を立て直した人もいます。
突き進むことにも、撤退することにも、それぞれ利点と代償があります。 同じ状況でも、何を大切にするかによって選ぶ道は変わります。
大切なのは、自分が何を守り、何を失う可能性があるかを理解したうえで、後悔しないと思える道を選ぶことです。
もちろん、どちらを選んでも後悔が生まれる可能性はあります。未来を完全に予測することはできないからです。それでも、当時の情報と自分の価値観に照らして納得して選んだ道なら、その結果を引き受けやすくなるのではないでしょうか。
突破ラボは、読者に一つの正解を押しつける場所ではありません。相反する考え方も含め、複数の視点と選択肢を提示し、読者が自分自身の答えを見つけるための場所でありたいと考えています。
最後に|本当の勇気とは、何を守るかを決めること
撤退は敗北と同じではありません。損失を抑え、人を守り、新たな挑戦の機会を残せる場合があります。
同時に、続けることでしか到達できない場所もあります。重要なのは、続けるべきときに続け、退くべきときに退く判断です。
勇気ある撤退とは、未来を諦めることではなく、未来を諦めないための決断なのです。
あなたが今、手放せずにいるものは、本当に守るべきものなのでしょうか。それとも、手放すことで初めて守れる未来があるのでしょうか。
書籍情報
書名:『撤退の本質 いかに決断されたのか』
著者:森田松太郎・杉之尾宜生
ジャンル:経営・組織論・戦史・意思決定
※本記事は撤退をテーマにした突破ラボ独自の書評・考察です。行動経済学、借金問題、人生への応用は必ずしも本書の記述を直接要約したものではありません。