杉浦佳子の事故と後遺症とは?薬剤師から最年長金メダルへ|経歴と名言

杉浦佳子の記事のアイキャッチ

※この記事は2026年11月時点で公開されているインタビューや報道をもとに書いています。最新の情報は本人の発信や公式発表でご確認ください。

杉浦佳子さんは、パラサイクリング(パラ自転車競技)の選手です。東京2020パラリンピックで金メダルを2つ、パリ2024パラリンピックでも金メダルを獲りました。

でも、もともとはアスリートではありませんでした。薬剤師として働きながら、趣味で自転車レースに出ていた40代の女性です。45歳のとき、レース中の落車事故で脳に大きなけがを負いました。

この記事では、杉浦佳子さんの事故と後遺症、リハビリから競技復帰までの経歴、50歳と53歳で日本人最年長の金メダルを獲るまでを、本人の言葉と報道で確認できた範囲でまとめます。名言や、不屈の精神の源についても紹介します。

目次

杉浦佳子のプロフィール・経歴

名前杉浦佳子(すぎうら けいこ)
生年月日1970年12月26日
出身静岡県掛川市
競技パラサイクリング(運動機能障害 C1-3クラス)
仕事薬剤師
所属総合メディカル(2024年時点の報道)
事故2016年4月、45歳のとき自転車ロードレースで落車
主な成績東京2020パラリンピック 女子個人ロードタイムトライアル(C1-3)金メダル(2021年8月31日)
同 女子個人ロードレース(C1-3)金メダル(2021年9月3日)
パリ2024パラリンピック 女子個人ロードレース(C1-3)金メダル(2024年9月7日)
記録50歳で日本人のパラリンピック最年長金メダル。53歳のパリ大会で自らその記録を更新

薬剤師で、趣味は自転車レースだった

杉浦さんは、子育てをしながら大学で学び、薬剤師になったと紹介されています。卒業後は薬局で働き、会社の常務取締役も務めたと報じられています。

スポーツは、大人になってから始めた趣味でした。28歳ごろからフルマラソンを走り、38歳で宮古島のトライアスロンを完走したと語っています。30代で自転車を始め、40代はトライアスロンで世界大会をめざしていたそうです。

本人は取材で「暗いところでひっそり薬をつくってるのが好きだった」とも話しています。「アスリートっぽくない」と言われると、「もともとただの薬剤師なんで」と答えたと報じられています。

45歳の落車事故と後遺症

2016年4月、レースの下り坂で

事故は2016年4月です。トライアスロンの練習のために出た自転車ロードレースの下り坂で、ほかの選手と接触して転倒したと報じられています。速度は時速60kmほどと推定されています。

けがは、脳挫傷、外傷性くも膜下出血、体の何か所もの骨折でした。一時は命が危ない状態だったと伝えられています。本人には事故の記憶がまったくないそうです。

残った後遺症:高次脳機能障害と右半身のまひ

事故の後には、高次脳機能障害と右半身のまひが残ったと本人や報道が伝えています。高次脳機能障害は、脳のけがなどで記憶や言葉、考える力に障害が出る状態のことです。

「私は特に記憶と言語に異常が出て、10分しか記憶が継続しない状態が続きました。」

出典:CHANTO WEB(2026年8月)

はじめは家族の顔がわからず、薬剤師としての知識も消えていたと紹介されています。漢字が読めず、よく知っていたはずの薬の名前もわからなかったそうです。

主治医には毎日のように「初めまして」とあいさつしていた、とも語っています。医師からは「もう自転車には乗れない」「薬剤師には戻れない」と言われたと報じられています。

右半身は今も動き出しが遅く、物を持って歩くのは怖さがあると話しています。杖を使って歩き、右手はゆっくりですが、箸を使い、字も書けるそうです。

リハビリから競技復帰、そして金メダルへ

「リハビリは楽しくてたまらない時間」

杉浦さんは急性期の病院に3週間、リハビリ専門の病院に5週間入院したと語っています。病院が考えていたより、回復は早かったそうです。

「リハビリというと、つらいイメージを持たれるかもしれませんが、私にとっては楽しくてたまらない時間でした」

出典:婦人公論.jp(2021年12月)

小学生向けの計算ドリルや絵本、会社の後輩が作ってくれた薬のクイズで、少しずつ知識を取り戻していったと紹介されています。退院後も週2回のリハビリを続けたそうです。

もう一度、自転車に乗りたい

「もう一度自転車に乗ってあの爽快感を味わいたい」

出典:CHANTO WEB(2026年8月)

家の近くの車が来ない道で試してみたら、自転車に乗れたそうです。「うまく曲がれなくてぶつかったりもする」けれど、うれしかったと振り返っています。

はじめはパラリンピックを意識していなかったといいます。目標はトライアスロンへの復帰でした。そこへ、パラサイクリングの監督から挑戦をすすめられたと報じられています。

医師に「私、障害者ではないですよね?」と聞くと、「いや、あなたは障害者です」と答えが返ってきたそうです。そのとき「そうか、私は障害者なんだ」と受け止めたと語っています。同じ障害のある選手たちの練習に加わり、競技の面白さにひかれていきました。

事故から1年たたないうちに、杉浦さんは国内の自転車ロードレースに出場したと報じられています。

東京2020で50歳の金メダル、日本人最年長に

2021年8月31日、東京2020パラリンピックの女子個人ロードタイムトライアル(C1-3)で金メダル。会場は富士スピードウェイでした。50歳での金メダルは、日本人のパラリンピック最年長記録と報じられました。

優勝直後、報道陣の前で杉浦さんが口にした言葉は、多くのメディアで紹介されました。

「最年少記録は二度とつくれないけど、最年長記録はまたつくれる」

出典:文春オンライン(2021年9月)

その3日後の9月3日、女子個人ロードレース(C1-3)でも金メダル。1つの大会で2つの金メダルを手にしました。

パリ2024で53歳の金メダル、最年長記録を自ら更新

2024年9月7日、パリ2024パラリンピックの女子個人ロードレース(C1-3)で金メダル。東京に続く2連覇です。53歳での金メダルで、自分の持つ日本人最年長記録を塗りかえました。東京での言葉が、本当になったのです。

大会の直前にはぜんそくの発作で眠れず、練習も十分にできなかったと報じられています。レースでは自分が先頭で集団を引っぱり、後ろの選手に脚を使わせる作戦をとりました。

「なんかもう本当に特別です。嬉しいのとホッとしたのと混ざってます。もう絶対獲れないって思っていたのでまだ信じられなくて。」

出典:日本パラサイクリング連盟「Look back on Paris2024 vol.4」(2024年9月)

杉浦佳子の不屈の精神はどこから来たのか

記憶が10分しか続かない状態から、2大会連続の金メダルへ。その粘り強さの源を、本人の言葉と報道から4つに分けて見ていきます。

源1:家族への思いと、見守ってくれた家族

事故のとき、娘さんは中学3年生になったばかりでした。母が帰ってこない理由を家族に聞けず、不安を抱えていたそうです。杉浦さんはインタビューで、子どもたちに大変な思いをさせてしまったと振り返っています。

事故のあと自転車に戻ることには、周りから強い反対もありました。それでも家族は本人の性格を考え、止めても無駄だろうと受け止めていたと紹介されています。

源2:リハビリの医療者と、毎日書いたノート

入院中、杉浦さんは病院から渡されたノートに、その日の出来事を書き留めて読み返していたそうです。リハビリの先生は手の動く角度を分度器で測り、「まず90度まで手を上げる」という目標を立ててくれたと語っています。

理学療法士のリハビリで、ほとんど動かなかった右半身は大きく回復したといいます。傷ついた神経が元に戻ったのではなく、訓練で新しい回路ができたと考えられている、という説明も、インタビューで紹介されています。

源3:「目標に向けて努力するのが心地よい」という性格

「私は、目標を定めてそれに向かって努力することが心地よいと思うタイプのようです。」

出典:婦人公論.jp(2021年12月)

マラソン、トライアスロン、そして自転車。杉浦さんは事故の前から、目標を決めてこつこつ練習を積む人でした。練習については「すべてコーチにお任せしています。毎日、言われたメニューをきちんとこなすことが大好きです」と話しています。

レースの緊張も、コーチの一言で変わったそうです。「そうか、レースもメニューか。だったらいける」。大きな舞台も、毎日の練習の延長として受け止めたといいます。

源4:支えてくれる人たちへの感謝

杉浦さんは、たびたび周りへの感謝を口にしています。地元・静岡のテレビでは「応援してくれる方に恵まれた」と語りました。パリの金メダルのあとには、こんな言葉を残しています。

「このメダルは関わってくださった方々全員でとれたメダルです。最後まで支えていただきありがとうございました。」

出典:日本パラサイクリング連盟「Look back on Paris2024 vol.4」(2024年9月)

自分ひとりの力だと思わず、支えを受け取れること。それが、つらい時期にも前を向き続けられた理由のひとつとも考えられます。

杉浦佳子に学ぶ、真似できる3つの突破法

1. 小さな目標を「数字」で決める

リハビリの最初の目標は「手を90度まで上げる」でした。大きな夢をいきなり追うのではなく、測れる小さな目標を1つ決める。できたら次の目標へ進む。これは仕事や勉強でも使えます。

2. 本番も「いつものメニュー」と考える

「レースもメニュー」と考えたことで、杉浦さんは大舞台に立てました。大事な場面ほど、特別なことをしようとしない。毎日やってきたことを、いつもどおりにやる。そう考えると、緊張が少し軽くなります。

3. 年齢を「できない理由」にしない

「最年長記録はまたつくれる」。年を重ねることを、記録を伸ばすチャンスと見る考え方です。「もう遅い」と思ったときこそ、この言葉を思い出してみてください。

杉浦佳子の金メダルの瞬間を見る(公式動画)

パリ2024パラリンピック 女子個人ロードレース金メダル(TBS NEWS DIG公式チャンネル)

まとめ

  • 杉浦佳子さんは薬剤師として働きながら、趣味で自転車レースに出ていた
  • 2016年、45歳のときの落車事故で、高次脳機能障害と右半身のまひが残った
  • リハビリを「楽しくてたまらない時間」と語り、事故から1年たたずにレースへ戻った
  • 東京2020で50歳、パリ2024で53歳の金メダル。日本人最年長記録を自ら更新した

杉浦さんは今も、障害とともに競技を続けています。「最年長記録はまたつくれる」という言葉は、年齢や逆境で立ち止まりそうな人の背中を、そっと押してくれます。

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こんにちは。 このブログは、困難や障害を突破する方法を解説しています。 仕事・お金・健康に関する記事は、公的機関の資料やサービスの公式情報を確認して書いています。特に、薄毛・脱毛・歯列矯正など医療や健康に関わる記事は、学会の診療ガイドラインや公的機関の資料を根拠にし、記事の最後に参考資料を載せています(制作方針は運営者情報に掲載しています)。 私自身の実体験や、困難に直面したときの考え方はnoteでも発信しています。 ▶ note「突破ラボ」を読む 人生、山あり谷ありで、誰でも大なり小なり行く手を阻む壁みたいなものを感じている方も多いのではないでしょうか。健康に関すること、お金に関すること、対人関係に関すること、様々な壁が私たちの前に立ちはだかります。壁を前にすると、結構悲観的になったりしますよね。 でも、案外、見方を変えたらうまくいったり、案ずるより産むが易し、であまり考えずに行動したらうまくいったりすることもあります。このブログではそんな困難を突破する方法を提示していきたいと考えています。このブログが少しでも皆様のお役に立てれば幸いです。

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