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※この記事は2026年11月時点で公開されているインタビューや報道をもとに書いています。最新の情報は本人の発信や公式発表でご確認ください。
東京パラリンピックの女子マラソン(視覚障害)で金メダルを取った道下美里(みちした・みさと)さん。リオで銀、東京で金、パリで銅と、3大会続けてメダルを手にしています。
でも、道下さんはもともとマラソンが得意だったわけではありません。中学生で右目の視力を失い、25歳で左目も見えにくくなりました。本格的にマラソンを始めたのは30歳を過ぎてからです。
この記事では、道下さんの逆境と、伴走者や仲間とともに走ってきた道のり、本人の名言、著書までをまとめます。
道下美里のプロフィール
| 名前 | 道下美里(みちした・みさと) |
| 生まれ | 1977年、山口県下関市 |
| 競技 | 視覚障害者マラソン(T12クラス) |
| 目の病気 | 膠様滴状角膜ジストロフィー(本人が公表) |
| 練習の拠点 | 福岡・大濠公園ブラインドランナーズクラブ(OBRC)、「チーム道下」 |
| パラリンピック | 2016年リオ:銀メダル/2021年東京:金メダル(3時間0分50秒、パラリンピック新記録)/2024年パリ:銅メダル(3時間4分23秒) |
| 著書 | 『いっしょに走ろう』(芸術新聞社、2015年) |
中学で右目、25歳で左目 道下美里を襲った逆境
角膜の難病で、中学生のときに右目の視力を失う
道下さんの目の病気は「膠様滴状角膜ジストロフィー」という角膜の難病です。小学4年生のころに目の異常に気づき、中学生のときに右目の視力を失ったと報じられています。
25歳で左目も 「そのときは、絶望しましたね」
それでも短大を出て働き始めました。ところが25歳で左目にも病気が出て、視力は0.01に。光や輪郭をぼんやり感じる程度になったと紹介されています。
「25歳で左目も発症し視力は0.01に。そのときは、絶望しましたね」
「見えなくても走れる」 盲学校で出会ったマラソン
両目がほとんど見えなくなった道下さんは、盲学校に通い始めます。そこで出会ったのがランニングでした。
風を切って走る感覚を、なつかしく感じたといいます。
「『見えなくても走れる』という経験が自信になり、夢中になりました」
はじめはトラック種目に取り組み、2008年に初めてフルマラソンを完走しました。31歳の年です。2009年に結婚して福岡へ移り、大濠公園ブラインドランナーズクラブ(OBRC)で練習を重ねるようになったと紹介されています。
伴走者とロープでつながって走る競技
視覚障害者マラソンでは、選手と伴走者(ガイドランナー)が輪にしたロープを握って走ります。伴走者はコースの曲がり角や給水、まわりの選手の動きを声で伝えます。
42.195kmを1人の伴走者が走り切るのは大変なので、途中で伴走者が交代することもあります。パリ大会では、前半を山下克尚さん、後半を志田淳さんが担当したと報じられています。
リオで銀、東京パラリンピックで金、パリで銅 メダルと記録
記録を伸ばし、2016年リオで銀メダル
2014年12月の防府読売マラソンでは、2時間59分21秒で走りました。2017年の同じ大会では2時間56分14秒を出し、それまでのT12クラスの世界記録を上回ったと報じられています。2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックでは、視覚障害者マラソンで銀メダルを取りました。
2021年、東京パラリンピックで金メダル
2021年9月5日、東京パラリンピック最終日の女子マラソン(視覚障害T12)で、道下さんは3時間0分50秒で優勝しました。パラリンピック新記録での金メダルです。伴走したのは青山由佳さんと志田淳さんでした。
2024年パリ 4位から繰り上がりの銅メダル
パリ大会では3時間4分23秒の4位でゴールしました。レース直後は「本当に悔しい」と話していました。その後、3着の選手が失格となり、道下さんは3位に繰り上がって銅メダルを手にしました。3大会連続のメダルです。
「いろいろな人に応援してもらっているので、いっぱい思いが詰まった、大事なメダルです」
道下美里はどう乗り越えてきたのか
道下さんは「障害を乗り越えた」というより、見えないことと向き合いながら、走る場所と仲間を見つけてきました。
体が小さく、大きなストライドで走るのは難しいと思っていたそうです。それでも、できない理由ではなく「どうしたらできるのか」を考えるようになったと語っています。
「『どうしたらできるのか』を考えて動けば、何度でも限界は超えられるんだなって」
そして、見えなくなったことそのものを、今の自分につながるものとして受け止める言葉も残しています。
「元々、マラソンが得意だったわけじゃない私が、30代後半で世界の頂点を目指すチャンスに巡り合えた。それは、目が見えなくなったおかげだから」
道下美里の不屈の精神はどこから来たのか
源1:伴走者と「チーム道下」の仲間
福岡のOBRCのメンバーが中心となって「チーム道下」が生まれました。地元では約10人のランナーが伴走し、送迎や買い出しを手伝うサポーターも含めて約100人が支えていると紹介されています。
「チーム道下は、一体感が半端ではない。目が見えないことを忘れてしまうほど自然でいられる」
東京大会のあとの3年間は、うまくいかないことが続いたそうです。それでも仲間が支えてくれたと、パリ大会のあとに振り返っています。
「私は仲間に恵まれてきたから、今ここにいるということを改めて感じたパリ大会でした」
源2:夫と母、家族のまなざし
道下さんの挑戦を、夫と母が温かく見守ってきたと紹介されています。また、道下さんが母に「目の不自由な娘に産んでくれてありがとう」と伝えたことも報じられています。見えなくなったことを責めるのではなく、感謝の言葉にかえられるほど、家族との関係が支えになってきたとも考えられます。
源3:「そのままの私でいい」と思える役割分担
道下さんは、できないことは人に任せ、できることに集中するという考え方を大切にしています。友人に連れられて行った講演で、この話を聞いて「目から鱗が落ちた」と語っています。
「『そのままの私でいい』と言ってくれる人たちと一緒に夢を追いかけられる。今、とても幸せです」
道下美里に学ぶ、真似できる3つの突破法
1.「できない」ではなく「どうしたらできるか」を考える
体が小さいからストライドは無理、と決めつけず、方法を考えて動く。壁にぶつかったとき、問いの形を変えるだけで次の一歩が見えてきます。
2.できないことは人に任せ、自分の役割に集中する
「私の役割は走ること」。全部を1人で抱えず、得意な人に任せる。これは仕事や家庭でもそのまま使える考え方です。
3.一緒に走ってくれる仲間の輪に入る
道下さんが走り続けられたのは、OBRCという場所に飛び込んだからです。同じ目標を持つ人の集まりに入ることが、続ける力になります。
道下美里の本・書籍
道下さん本人が半生をつづった本と、子ども向けに道下さんの歩みを描いた本を紹介します。
本人の著書『いっしょに走ろう』
道下美里さん本人が、引っ込み思案だった少女時代から、視力を失った日々、マラソンとの出合い、「チーム道下」結成までをつづった1冊です(芸術新聞社、2015年)。
子どもにも読みやすい『可能性は無限大』
児童書シリーズ「パラリンピックのアスリートたち」の1冊。高橋うららさんが、右目の光を失った中学時代から、盲学校、初めてのフルマラソン、リオから東京へまでを描いています(新日本出版社、2018年)。
道下さんも著者の一人『こころの輪 パラリンピック編』
車いすラグビーの池透暢さん、道下美里さん、義足の山本篤さんの3人が、壁を乗りこえるためのヒントを子ども向けに語る本です(小学館クリエイティブ、2024年)。
価格・在庫は各ショップの商品ページでご確認ください。
道下美里の金メダルの瞬間を見る(公式動画)
まとめ
- 道下美里さんは角膜の難病で、中学生のときに右目、25歳で左目の視力も失った
- 盲学校で走ることに出会い、2008年に初めてフルマラソンを完走した
- 伴走者とロープでつながって走り、リオで銀、東京パラリンピックで金、パリで銅を取った
- 支えになったのは「チーム道下」の仲間、家族、そして「どうしたらできるか」と考える姿勢
道下さんは、見えないことを「おかげ」と言える場所まで、仲間と一緒に走ってきました。1人で抱えず、誰かとロープを握る。それは、私たちが壁の前で立ち止まったときにも思い出したい走り方です。
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