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※この記事は2026年11月時点で公開されているインタビューや報道をもとに書いています。最新の情報は本人の発信や公式発表でご確認ください。
2026年7月、車いすテニスの上地結衣(かみじ ゆい)選手が、ウィンブルドンで初めて優勝しました。これで四大大会すべてとパラリンピックの金メダルをそろえる「生涯ゴールデンスラム」を、日本の女子選手として初めて達成しました。
今では世界の頂点に立つ上地選手ですが、ここまでの道は順調ではありませんでした。生まれつきの障害とともに育ち、パラリンピックではリオで銅、東京で銀。金メダルにはなかなか届きませんでした。同じライバルに何十回も負け続けた時期もあります。
この記事では、上地結衣選手のプロフィール、悔しさの日々、パリ2024の金メダルと生涯ゴールデンスラムまでの歩みをまとめます。そして「世界一負けず嫌い」と呼ばれる不屈の精神がどこから来たのかを、本人や家族の言葉からたどります。
上地結衣選手のプロフィール
| 名前 | 上地結衣(かみじ ゆい) |
|---|---|
| 競技 | 車いすテニス |
| 生年月日 | 1994年4月24日 |
| 出身 | 兵庫県 |
| 所属 | 三井住友銀行 |
| 障害 | 先天性の潜在性二分脊椎症(本人公表) |
| 競技を始めた年齢 | 11歳(10歳と紹介する報道もあります) |
| パラリンピック | ロンドン2012 単複ベスト8/リオ2016 シングルス銅/東京2020 シングルス銀/パリ2024 シングルス・ダブルス金 |
| 主な実績 | 2014年 全仏で四大大会シングルス初優勝/2026年 ウィンブルドン初優勝で生涯ゴールデンスラム達成(日本女子初)/2026年 全米2連覇 |
出典:三井住友銀行「上地結衣選手」紹介ページ、nippon.com、共同通信(熊本日日新聞掲載)など。
生まれつきの二分脊椎と、テニスとの出会い
上地選手には、生まれつきの潜在性二分脊椎症があり、足などにまひがあります。スポーツ庁長官・室伏広治さんとの対談では、本人が「生まれつきの障害で、二分脊椎症という障害なんですけれども」と話しています。
小さいころは体を動かすのが好きで、得意科目は体育。休み時間は外で遊ぶ子どもだったそうです。ところが成長とともに障害が進み、車いすを使うようになると、室内にこもることが多くなったと振り返っています。
そんな姿を見た両親が、車いすでもできるスポーツを探してくれました。最初は車いすバスケットボールから。そして4歳年上のお姉さんが中学で軟式テニス部に入ったことで、「お姉ちゃんと一緒にテニスがやりたい」と思い、車いすテニスを始めたと語っています。
リオ銅・東京銀――金メダルに届かなかった悔しさ
14歳で日本ランキング1位になった上地選手は、高校3年生でロンドン2012パラリンピックに出場し、単複ともにベスト8。2014年には全仏オープンで四大大会のシングルスを初めて制し、世界ランキング1位にもなりました。
リオ2016は「悔しさばかり」
リオ2016パラリンピックでは、シングルスで銅メダルを獲得しました。それでも、本人の受け止めは厳しいものでした。
「リオは悔しさばかりの大会でしたね」
宿敵デ フロート選手と、東京2020の銀メダル
そこへ立ちはだかったのが、オランダのディーデ・デ フロート選手です。上地選手より2歳年下で、2018年3月に世界ランキング1位の座を奪われました。報道では、デ フロート選手の球は男子選手に迫るほど力強いと紹介されています。
地元開催の東京2020パラリンピック。上地選手は開会式で聖火の最終点灯者の一人を務め、シングルスで初めて決勝に進みました。相手はデ フロート選手。3-6、6-7で敗れ、銀メダルでした。試合後のインタビューでは涙を流しながら、こう話しています。
「最後の1ポイントまで自分のやりたいこと、諦めない気持ちが最後まで持てて、攻めていけたことは褒めてあげたい」
このあとも苦しい時期は続きます。デ フロート選手には28連敗。2021年の勝利から次に勝つまで、約3年4か月かかったと報じられています。本人は「負け越して諦めかけたこともある」と明かし、どうしたらいいのかわからない期間も長かったと語っています(スポルティーバ、2024年9月)。
どう乗り越えたか――パリ2024の金メダルと生涯ゴールデンスラム
スタイルを変え、国枝慎吾さんに教えを求めた
上地選手は、理詰めで組み立てる本来のスタイルから、相手の時間を奪う早い攻めへと切りかえていったと紹介されています。さらに宿敵に勝つため、引退していた国枝慎吾さんに指導を求め、プレーをより攻撃的に変え、車いすの形も改良したと報じられています。
パリ2024でついにシングルス金メダル
2024年9月6日、パリ2024パラリンピックの女子シングルス決勝。相手はまたもデ フロート選手でした。第1セットを落としながらも4-6、6-3、6-4で逆転し、金メダルを獲得。前日には田中愛美選手と組んだダブルスでも金メダルを取り、単複2冠に輝きました。
「やっと取れた。やっと来られたこの場所。諦めずにやってきてよかった」
10度目の挑戦でウィンブルドン優勝、生涯ゴールデンスラム達成
2025年には8年ぶりに年間王者へ返り咲きました。残るタイトルは、芝のウィンブルドンだけ。芝は苦手な面があり、2025年は決勝で敗れて悔しい思いをしています。
そして2026年7月11日。10度目の挑戦となったウィンブルドンの女子シングルス決勝で、デ フロート選手に6-0、6-0で勝ち、初優勝しました。これで四大大会(全豪・全仏・ウィンブルドン・全米)のシングルスをすべて制する「生涯グランドスラム」と、パラリンピック金メダルがそろいました。日本の女子では初めての生涯ゴールデンスラムです。報道では、国枝慎吾さん、小田凱人選手、デ フロート選手に続く史上4人目と紹介されています。
「夢の一つだった。まだ本当に起きたことなのか、信じられない。とても幸せ」
帰国後の会見では、ウィンブルドンについて「取らずに競技人生は終われないと思っていた」と話しました。精神的に不安定な日々もあったものの、準備してきたことがプレーにつながったとも語っています(共同通信、2026年7月)。2026年9月の全米オープンでもデ フロート選手を破り、2連覇を果たしました。
上地結衣選手の不屈の精神はどこから来たのか
2024年に公開されたドキュメンタリー映画『The Break 世界一、負けず嫌いのテニスプレイヤー、上地結衣。』は、約3年にわたって上地選手に密着した作品です。お母さん、コーチ、車いすのエンジニア、国枝慎吾さんら、まわりで支える人たちも登場すると紹介されています。ここでは、本人や家族の言葉、報道から確認できた「源」を4つに分けて見ていきます。
源1:姉の背中と、道をひらいてくれた両親
テニスを始めたきっかけは、4歳上のお姉さんでした。そして、その前に「車いすでもできるスポーツを」と考えてくれたのが両親です。
「それを見ていた両親が、何か車いすでもできるスポーツを、っていう風に思ってくれた」
地元の支えも早くからありました。最初のスポンサーはお母さんの当時の勤務先で、ロンドン2012の前には「応援する会」ができ、募金で海外遠征費を集めたと報じられています。
源2:「特別扱いしない」母の育て方と、強い自立心
小学4年生のとき、障害者スポーツをすすめたのはお母さんの芳美さんでした。芳美さんは特別扱いをしなかったと紹介されています。その理由を、こう話しています。
「親は先に死ぬ。その時に困らないように」(母・芳美さん)
中学3年生の初めての海外遠征では、親の付き添いを求められながらも一人で渡航。高校時代は電車とバスで通い、「雨の日以外は送り迎えしない」という約束を3年間守ったと報じられています。本人も、障害があっても「やるならみんなと同じルールでやりたいし、同じ土俵で戦いたい」と語っています(JAL「OnTrip」、2019年1月)。
源3:国枝慎吾さんという「超えたい背中」と、宿敵の存在
上地選手にとって、国枝慎吾さんはずっと憧れの存在でした。東京2020で国枝さんが金メダルを取った姿を間近で見たとき、こう話しています。
「私が他の国の選手だったら満足していたかもしれない。もっと頑張って、いつかその背中を超えたい」
その国枝さんは、のちに上地選手を指導する立場にもなりました。ウィンブルドン決勝については「僕の想像の何倍も上をいっていた」とたたえています(デイリースポーツ、2026年7月)。コーチの千川理光さんの存在も欠かせません。リオに向けては「コーチと二人三脚」で取り組んできたと本人が語っています。そして、何度も壁になったデ フロート選手。東京2020の決勝のあと、二人はネット際で抱き合ったと報じられています。
源4:自他ともに認める「負けず嫌い」
報道では、上地選手は「負けず嫌いで物おじしない性格」、自他ともに認める負けず嫌いと紹介されています。テニスを続けるなかで「もっと強くなりたい」「もっとこの人に勝ちたい」という目標が次々に出てきた、と本人も語っています。
勉強との両立でも、その性格が見えます。「学校にも『テニスがあるから勉強ができない』『テストが受けられない』という言い訳はしたくなかった」と話しています(スポルティーバ)。言い訳をせず、負けを次の目標に変えてきたことが、長い連敗を抜け出す力になったとも考えられます。
上地結衣選手に学ぶ、真似できる3つの突破法
1. 負けた相手を「次の目標」にする
上地選手は、勝てない相手がいるたびに「もっとこの人に勝ちたい」と目標を更新してきました。負けを終わりにせず、次に越えたいものとして書き出してみましょう。
2. 勝てないときは、やり方を変える勇気を持つ
長く続けてきた自分のスタイルを変え、引退した先輩に教えを求め、道具まで見直したことが、金メダルにつながりました。同じ努力で結果が出ないときは、方法そのものを変えてみることも大切です。
3. できない理由ではなく、できる道を探す
車いすで外遊びが減ったとき、両親は「車いすでもできるスポーツ」を探しました。本人も言い訳をせず、自分で通学し、一人で海外に出ていきました。「できない」より先に「どうすればできるか」を考えるくせは、だれでも今日から始められます。
上地結衣選手をもっと知るための本
漫画で読む上地選手の半生『カミジ! 〜上地結衣(車いすテニス)STORY〜』
集英社のヤングジャンプコミックスから出ている、上地選手を描いた漫画です(蒼木雅彦 著、光風治 原著)。商品説明によると、生まれつきの障害とともに育ち、11歳で車いすテニスに出会ってから、東京2020パラリンピックの決勝に向かうまでが描かれています。
価格・在庫は各ショップの商品ページでご確認ください。
上地結衣の金メダルの瞬間を見る(公式動画)
まとめ
- 上地結衣選手は、生まれつきの潜在性二分脊椎症とともに育ち、お姉さんの影響で11歳から車いすテニスを始めた。
- リオ2016は銅、東京2020は銀。宿敵デ フロート選手には28連敗した時期もあった。
- スタイルを変え、国枝慎吾さんの指導も受け、パリ2024でシングルス・ダブルスの金メダルを獲得。
- 2026年7月、ウィンブルドン初優勝で日本女子初の生涯ゴールデンスラムを達成した。
何度負けても、上地選手は「もっと勝ちたい」と目標を立て直してきました。その「世界一負けず嫌い」な心は、両親の支え、自立をうながした母の言葉、超えたい背中と宿敵の存在のなかで育ってきたものです。今うまくいかないことがあるなら、上地選手のように、負けを次の目標に変えるところから始めてみませんか。
関連記事


参考にした資料
- スポーツ庁「スポーツ庁長官 室伏広治のアスリート近影」上地結衣選手編(2021年3月撮影)
- 三井住友銀行「上地結衣選手」
- nippon.com「上地結衣選手、車いすテニスで生涯ゴールデンスラム達成」(2026年7月)
- 共同通信(熊本日日新聞)「上地結衣が生涯ゴールデンスラム ウィンブルドンを初制覇」(2026年7月)
- 共同通信(熊本日日新聞)「上地結衣『自分を褒めたい』 車いすテニスでGS、都内で会見」(2026年7月)
- 共同通信(熊本日日新聞)「全米車いすテニスで女子の上地が2連覇」(2026年9月)
- デイリースポーツ「上地結衣 日本女子初『生涯ゴールデンスラム』」(2026年7月)
- デイリースポーツ「上地結衣『これから実感出てくるのかな』」(2026年7月)
- 神戸新聞NEXT 社説「上地結衣選手/日本女子初の快挙に拍手」(2026年7月)
- Number Web「新スタイルで“鬼門”を制す。上地結衣が生涯GSを達成。」(2026年8月)
- スポルティーバ(パラスポ+)「上地結衣、28連敗した女王、好敵手デ フロートに競り勝ちリベンジ!」(2024年9月)
- AFPBB News「車いすテニス上地2冠」(2024年9月)
- Number Web「『2番目のポジションはもういい』宿敵に連敗した上地の負けじ魂。」(2021年10月)
- デイリースポーツ「上地結衣『諦めない気持ちを持てた』」(2021年9月)
- SPREAD「上地結衣、世界女王に敗れての銀はパリ大会金メダルへの序章」(2021年9月)
- 神戸新聞NEXT「車いすテニス女子単 上地『銀』」(2021年9月)
- 神戸新聞NEXT「上地結衣、15年続く支援の絆 スポンサー第1号は母の勤務先」(2021年9月)
- 神戸新聞NEXT「上地結衣『私が他の国の選手だったら満足していた』」(2021年9月)
- スポルティーバ「女王の意地、新人の台頭。」(2020年10月)
- スポルティーバ「車いすテニス・上地結衣の実感『理想はフランス人ボランティア』」
- JAL OnTrip「15歳で海外一人旅。車いすテニスメダリスト上地結衣の生き方」(2019年1月)
- JAL「上地結衣選手」
