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※この記事は2026年11月時点で公開されているインタビューや報道をもとに書いています。最新の情報は本人の発信や公式発表でご確認ください。
池江璃花子さんは、2026年の今も日本代表として世界と戦う競泳選手です。2026年9月の愛知・名古屋アジア大会では、女子50mバタフライで銅メダルを取りました。
でも、その道のりは決して一直線ではありませんでした。2019年2月、18歳で白血病を公表。東京五輪を目前に、長くプールを離れることになります。
この記事では、池江璃花子さんの経歴と白血病の治療、復帰してからのオリンピック成績、「完全寛解」の報告、そして現在までを、本人の言葉と報道で確認できた範囲でまとめます。不屈の精神を支えたもの、心に残るエピソード、本人の本も紹介します。
池江璃花子のプロフィール・経歴
| 名前 | 池江璃花子(いけえ りかこ) |
|---|---|
| 生年月日 | 2000年7月4日 |
| 出身 | 東京都 |
| 競技 | 競泳(バタフライ・自由形) |
| 所属 | 横浜ゴム |
| 水泳を始めた年齢 | 3歳 |
| 主な経歴 | 2016年 リオデジャネイロ五輪に高校1年生で出場 2018年 パンパシフィック選手権 100mバタフライで日本記録56秒08 2018年 ジャカルタ・アジア大会で6冠(日本選手の1大会最多金メダル) 2021年 東京五輪(リレー3種目) 2024年 パリ五輪(100mバタフライ) 2026年 愛知・名古屋アジア大会 50mバタフライ銅メダル |
| 公表している病気 | 急性リンパ性白血病(2019年2月公表、2024年9月に「完全寛解」を報告) |
| 著書 | 『もう一度、泳ぐ。』(文藝春秋、2024年) |
白血病になる前の池江璃花子|日本記録を次々に塗り替えた10代
池江璃花子さんは3歳で水泳を始めました。5歳のころには4泳法を泳げるようになっていたと紹介されています。小学2年生からは、東京ドルフィンクラブで清水桂コーチの指導を受けました。
10代で一気に頭角を現します。2015年10月から2017年2月までの約1年4カ月で、長水路の個人種目で計13回も日本記録を出したと報じられています。
2018年は特に大きな年でした。8月のパンパシフィック選手権では、女子100mバタフライで日本記録の56秒08をマーク。続くジャカルタ・アジア大会では金メダル6個を取り、日本選手の1大会最多記録を塗り替えました。本人は「6冠はできると思っていなかったのですごくうれしい」と話しています。
「東京五輪の顔」として期待が高まっていた、まさにその時でした。
池江璃花子の白血病|2019年2月の公表と治療
オーストラリア合宿中の体調不良から公表まで
報道によると、池江さんは2019年1月、オーストラリアでの合宿中に体調を崩して帰国し、検査を受けました。そして2019年2月12日、ツイッター(現X)で白血病と診断されたことを公表します。病名は急性リンパ性白血病と報じられています。
「私自身、未だに信じられず、混乱している状況です」
18歳で突然、人生の予定がすべて止まりました。のちに著書の中で、本人はこう振り返っています。
「思っていた未来が、一夜にして別世界のように変わる。それは、とてもきつい経験でした。」
約10カ月の入院と治療
池江さんは入院して治療を受け、2019年12月に退院しました。のちの完全寛解の報告では「移植後5年」と書いており、移植を含む治療を受けたことを本人が明かしています。
治療はとてもつらいものでした。母の美由紀さんはテレビ番組で、抗がん剤治療で頭痛や吐き気が続き、体重が18キロ減ったと明かしたと報じられています。病室を出て、病院の廊下で涙することも多かったそうです。
それでも池江さんは、入院中に心の中でこう言い聞かせていたと著書に書いています。
「入院中私の中には、病気に負けたくないという思いがありました。」
体調が悪い時も「大丈夫、いつか終わる」と自分に言い聞かせていた、とも振り返っています。
どう乗り越えたか|406日ぶりのプールから東京五輪へ
目標を「4年後のパリ」に置き直した
退院のとき、池江さんが掲げた目標は東京ではありませんでした。「2024年のパリ五輪出場、メダル獲得という目標で頑張っていきたいと思います」と語っています。
そして2020年3月、406日ぶりにプールへ戻りました。
「言葉に表せないくらい嬉しくて、気持ちが良くて、幸せです」
2020年6月には、ルネサンスの西崎勇ヘッドコーチを中心とした新しい指導体制が発表されました。通院での治療を続けながらの再スタートでした。
ただ、順調に見えた裏側は苦しいものでした。著書では「退院して泳ぎ始めた時には絶望しかなかった」と書いています。
2021年、思いがけず東京五輪の代表に
2021年4月の日本選手権。池江さんは女子100mバタフライで優勝し、東京五輪のリレー代表に入りました。目指していたのはパリだったので、本人にとっても予想以上の早さでした。
「努力は必ず報われるんだなと思いました。」
池江璃花子のオリンピック成績|東京2020・パリ2024
| 大会 | 種目 | 結果 |
|---|---|---|
| 東京2020(2021年) | 女子400mフリーリレー | 出場 |
| 東京2020(2021年) | 混合400mメドレーリレー | 出場 |
| 東京2020(2021年) | 女子400mメドレーリレー(バタフライ) | 決勝8位 |
| パリ2024 | 女子100mバタフライ | 準決勝 57秒79・全体12位 |
パリ五輪では決勝に届かず、インタビューでは涙で言葉に詰まりました。
「頑張ってきた分、無駄だったのかなって」
それでも同じ場で、4年後にまた戻ってきたいと口にしています。
2024年9月「完全寛解」を報告
パリ五輪から約2カ月後の2024年9月25日、池江さんはインスタグラムで報告しました。
「移植後5年が経ち、本日完全寛解を迎えました!」
投稿では、この5年間を「今でもとても長い」と感じていること、退院後の生活は想像以上に大変だったことも書いています。そのうえで、こう続けました。
「私の中には逃げるという選択肢はないので、これからもそんな自分と闘いながら全力で競技と向き合いたいと思います」
池江璃花子の現在|2026年も現役で国際大会へ
池江さんは引退していません。2026年11月時点でも、現役の日本代表として国際大会に出ています。
- 2023年10月〜2025年秋:オーストラリア・ゴールドコーストに拠点を移し、マイケル・ボールさんのチームで練習。2025年9月に日本へ拠点を戻すと発表。
- 2025年7月:世界選手権(シンガポール)に出場。「スプリンターとして世界に戻ってきた、通用するような泳ぎを本番でできたらいいなと思っている」と意気込みを語りました。
- 2026年8月:パンパシフィック選手権(アメリカ・アーバイン)女子50mバタフライ6位(25秒96)。
- 2026年9月:愛知・名古屋アジア大会。前日の50m自由形は体調不良で棄権しましたが、最終日の女子50mバタフライで銅メダルを取りました。
2025年に日本拠点へ戻ると発表したときは、2028年ロサンゼルス五輪に向けて再び飛躍したい、という思いもつづっています。
池江璃花子の不屈の精神はどこから来たのか
ここからは、本人や家族の言葉、報道で語られた内容から、池江さんを支えてきたものを整理します。
源1:幼児教室を営む母の育て方
母の池江美由紀さんは、長女を出産した翌年に幼児教室を開き、約30年にわたって講師兼経営者として働いてきたと、著書の紹介文に書いています。離婚後はひとり親として、兄・姉・池江さんの3人きょうだいを育てました。池江さんは末っ子の次女です。
自宅には雲梯(うんてい)を置き、幼い池江さんが遊びながら体を鍛えられるようにしていたと紹介されています。一方で、しつけでは「ダメなものはダメ」と教え続けたそうです。
美由紀さんの著書の紹介文には、こんなエピソードもあります。幼児教室で「なりたい自分を絵に描こう」という課題を出すと、池江さんはいつも表彰台の真ん中で金メダルをかけた自分を描いた、というものです。
闘病中、美由紀さんは「弱音が吐けないように育ててしまった…それでよかったのか」と自問したこともあったと番組で明かしています。そのうえで、今の娘への思いをこう語りました。
「とにかく自分のやりたいことを一生懸命やってほしい」
源2:コーチと、環境を変える決断
池江さんは、節目ごとに指導者と環境を選び直してきました。小学2年生からは東京ドルフィンクラブの清水桂コーチ。清水コーチは当時の池江さんを「細いけどマッチョな子だった」と振り返っています。
病気からの復帰後は西崎勇コーチを中心とした体制で東京五輪・パリ五輪へ。パリ五輪の前、2023年10月からはオーストラリアに渡り、マイケル・ボールさんのチームで泳ぎました。2025年に日本へ戻ると発表した際、その時間をこう表現しています。
「アスリートとしてとても強くなれた時間だった」
源3:結果より「やり切ること」を選ぶ考え方
パリ五輪のあと、オーストラリアで4年間を過ごす決意を語ったとき、池江さんはこう話しています。
「結果が出なかったとしても、それはそれで自分の人生」
2026年1月に出た伝記の出版社紹介では、毎晩のイメージトレーニングや、レース後の振り返りと課題設定をコツコツ積み重ねる姿が描かれていると紹介されています。「逃げるという選択肢はない」という完全寛解報告の言葉とも重なります。
池江璃花子に学ぶ、真似できる3つの突破法
1. つらい時の「合言葉」を決めておく
池江さんは入院中、「大丈夫、いつか終わる」と自分に言い聞かせていました。苦しい時は、考えるより先に心が折れそうになります。短い合言葉を先に決めておくと、自分を支える足場になります。
2. 目標を「届く場所」に置き直す
退院した池江さんが選んだ目標は、目前の東京ではなく「4年後のパリ」でした。遠すぎる目標をあきらめるのではなく、時期をずらして置き直す。それが結果的に、東京五輪出場にもつながりました。
3. 行き詰まったら環境を変える
パリの後、池江さんは海外に拠点を移し、2年後には日本に戻る決断をしました。同じ場所で同じことを続けて苦しいなら、場所や人を変えてみる。勇気はいりますが、自分を強くする選択肢の一つです。
池江璃花子の本・書籍
本人の言葉で闘病と復帰を知るなら著書、子ども向けにわかりやすく読むなら伝記、育て方を知りたいなら母・美由紀さんの本がおすすめです。
本人初の著書『もう一度、泳ぐ。』
退院から406日ぶりのプール、そしてパリ五輪出場を決めるまでの4年間に、池江さんが記し続けた心の内をまとめた手記です(文藝春秋、2024年)。羽生結弦さんとの対談も特別収録されています。
伝記『池江璃花子』(夢をかなえたいキミたちへ贈る伝記)
池江さんへの8カ月にわたる取材をもとに、3歳から小学生時代をマンガで、中学生から世界水泳2025までを文章で描いた伝記です(文・北川チハル、世界文化社、2026年)。
母・池江美由紀さんの『あきらめない「強い心」をもつために』
幼児教室を約30年営み、3人の子を育ててきた母が、子育てや教室で実践してきたことをまとめた本です(アスコム、2021年)。
価格・在庫は各ショップの商品ページでご確認ください。
池江璃花子の復帰を映像で見る(公式動画)
まとめ
- 池江璃花子さんは2019年2月、18歳で急性リンパ性白血病を公表し、約10カ月の入院治療を受けました。
- 2020年3月に406日ぶりにプールへ戻り、東京2020(リレー3種目)、パリ2024(100mバタフライ)と2大会連続で五輪に出場しました。
- 2024年9月、「移植後5年」で完全寛解を迎えたとインスタグラムで報告しました。
- 2026年も現役で、愛知・名古屋アジア大会の女子50mバタフライで銅メダルを取っています。
「逃げるという選択肢はない」。池江さんのこの言葉は、強がりではなく、苦しさを知ったうえでの選択に聞こえます。思い通りにいかない日があっても、目標を置き直し、環境を変え、また前へ進む。その姿は、壁の前で立ち止まっている人の背中をそっと押してくれるはずです。
関連記事


参考にした資料
- デイリースポーツ:白血病の公表(2019年2月12日)
- デイリースポーツ:新体制でパリ五輪目指す(2020年6月)
- Number Web:『もう一度、泳ぐ。』抜粋(入院中の思い)
- Number Web:『もう一度、泳ぐ。』抜粋(復帰への思い)
- Number Web:池江璃花子の言葉(2021年)
- web Sportiva:水泳を始めた頃と清水桂コーチ(2021年4月)
- Number Web:10代の日本記録(2017年3月)
- デイリースポーツ:パンパシ100mバタフライ日本新(2018年8月)
- デイリースポーツ:アジア大会6冠(2018年8月)
- デイリースポーツ:東京五輪の3種目(2021年8月)
- デイリースポーツ:パリ五輪100mバタフライ準決勝(2024年7月)
- SPREAD:豪州拠点とロス五輪への決意(2024年8月)
- SPREAD:完全寛解の報告(2024年9月)
- J-CASTニュース:完全寛解の報告(2024年9月)
- デイリースポーツ:母・美由紀さんが語った闘病中の日々(2024年6月)
- デイリースポーツ:母・美由紀さんの子育て(2024年6月)
- デイリースポーツ:世界選手権への意気込み(2025年7月)
- デイリースポーツ:日本拠点に戻す発表(2025年9月)
- 熊本日日新聞(共同):パンパシフィック選手権 50mバタフライ6位(2026年8月)
- TBS NEWS DIG:アジア大会 50mバタフライ決勝進出(2026年9月)
- 中日新聞:女子50mバタフライ 池江璃花子が銅メダル(2026年9月)
- 文藝春秋:『もう一度、泳ぐ。』
