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※この記事は2026年11月時点で公開されているインタビューや報道をもとに書いています。最新の情報は本人の発信や公式発表でご確認ください。
車いすテニスの国枝慎吾さん。パラリンピックで4つの金メダルをとり、四大大会では通算50回優勝しました。2023年に世界ランキング1位のまま引退し、国民栄誉賞も受けています。
そのすごさの裏には、9歳で車いす生活になったこと、肘の故障、地元開催の重圧がありました。そして、ラケットに貼った「オレは最強だ!」という言葉があります。
この記事では、国枝さんの経歴と生い立ち、成績と実績、引退と国民栄誉賞、そして「俺は最強だ」の名言が生まれた背景を、本人の言葉と報道をもとにまとめます。
国枝慎吾のプロフィール
| 名前 | 国枝慎吾(くにえだ しんご) |
|---|---|
| 生年月日 | 1984年2月21日 |
| 出身 | 千葉県 |
| 競技 | 車いすテニス |
| 車いす生活になったきっかけ | 9歳のとき、脊髄腫瘍により両下肢まひに |
| 競技を始めた年齢 | 11歳(母の勧めがきっかけ) |
| パラリンピック | 金メダル4個(アテネ・北京・ロンドン・東京)、銅メダル2個 |
| 四大大会 | 通算50勝(シングルス28・ダブルス22) |
| 主な栄誉 | 国民栄誉賞(2023年) |
| 引退 | 2023年1月に表明(世界ランキング1位のまま) |
生い立ち:9歳で脊髄腫瘍、車いす生活に
体育が大好きな野球少年だった
国枝さんは、子どものころ体を動かすのが大好きでした。少年野球をしていて、マラソン大会にも熱心だったと紹介されています。
1993年、小学4年生になる前の春休み。腰の激しい痛みで、野球の試合に出られなくなりました。これが始まりだったと報じられています。診断は脊髄腫瘍。9歳で両下肢がまひし、車いすで暮らすことになりました。
病名を母から聞いたときの思いを、国枝さんはこう語っています。
「死ななくて良かった、生きていて良かったと思いました。」
車いすバスケで友だちと遊んだ日々
車いすになってから、国枝さんがまず打ち込んだのはバスケットボールでした。友だちと放課後に、車いすでバスケをして遊んだそうです。
このときの経験が、のちのテニスに生きたと本人は振り返っています。
「車いすテニスを始めたころ、驚くぐらい俊敏に動けたのは、友だちとのバスケで培ったもの。」
11歳のとき、母の勧めで車いすテニスを始めます。練習の場は、千葉県柏市の吉田記念テニス研修センター(TTC)でした。
経歴と成績:パラリンピック金メダル4個、生涯ゴールデンスラム
パラリンピックの成績
| 大会 | シングルス | ダブルス |
|---|---|---|
| 2004年 アテネ | ベスト8 | 金メダル(齋田悟司さんと) |
| 2008年 北京 | 金メダル | 銅メダル(齋田悟司さんと) |
| 2012年 ロンドン | 金メダル | ベスト8 |
| 2016年 リオ | ベスト8 | 銅メダル(齋田悟司さんと) |
| 2021年 東京 | 金メダル | 4位 |
シングルスで金メダルを3回。ダブルスと合わせて金メダルは4個です。
四大大会50勝と生涯グランドスラム
テニスの四大大会(全豪・全仏・全英・全米)では、シングルス28回、ダブルス22回、通算50回優勝しました。歴代最多の記録です。
2022年、最後に残っていたウィンブルドン(全英)のシングルスで優勝しました。これで四大大会すべてとパラリンピックを制する「生涯ゴールデンスラム」を達成しています。
肘の故障とスランプ、そして東京での復活
国枝さんの競技人生は、肘の痛みとの付き合いでもありました。
- 2008年の北京大会は、痛めていた肘の手術を受けたあとでの金メダルだったと紹介されています。
- 2015年に肘の痛みが再発し、2016年4月に2度目の手術を受けました。
- 2016年のリオ大会では、シングルス3連覇が期待されながら準々決勝で敗れました。
- その後、グリップを変え、フォームを作り直したと報じられています。2018年には全豪と全仏で優勝し、世界1位に戻りました。
地元開催の東京大会の前も、楽ではありませんでした。2021年は肘の痛みを抱え、それまでの四大大会で優勝を逃していたと報じられています。
それでも東京大会の決勝では、トム・エフべリンク選手(オランダ)に6-1、6-2で勝ち、シングルスで3度目の金メダルを手にしました。
「マッチポイントの瞬間も、勝利の瞬間も、覚えていないんです。それくらい興奮したし、一生分泣きました。本当に信じられない、の一言です」
2023年の引退と国民栄誉賞
2023年1月22日、国枝さんは現役引退を発表しました。世界ランキング1位のままの引退でした。2月7日の会見では、こう話しています。
「成績、タイトルでやり残したことがないと思えたのは最高の幸せ」
同じ年の3月17日、国民栄誉賞を受けました。内閣府は、パラスポーツの社会的認知度を広げ、スポーツの発展に大きく貢献したことを理由に挙げています。四大大会歴代最多の50勝、東京大会の金メダルを含む生涯ゴールデンスラムも業績として紹介されました。
引退後の現在も、テニスに関わり続けています。2024年3月には、マイアミオープンで初めて行われた車いすテニスの大会で、トーナメントディレクターを務めました。
どう乗り越えたか:「本当はメンタルが弱い」と認めたこと
「俺は最強だ」と聞くと、もともと心が強い人に思えます。でも国枝さん自身は、若い選手たちに向けてこう話しています。
「僕は実はメンタル弱いんですよ。本当に弱い。強いと思ったことはない。」
弱さを知っているからこそ、言葉で自分を支える方法を身につけました。勝っても負けても、気持ちの置き方を決めていたそうです。
「負けた時ほどチャンスだし、勝っているときは逆に自分を疑えと常々自分に言い聞かせていた。」
国枝慎吾の不屈の精神はどこから来たのか
源1:ラケットの「オレは最強だ!」とメンタルトレーナー
「俺は最強だ」の言葉は、オーストラリア出身のメンタルトレーナー、アン・クインさんとの取り組みから生まれました。2人が出会ったのは2006年1月、全豪オープンの車いすテニスの大会だったと紹介されています。毎朝、鏡の前で「オレは最強だ!」と口にするようになってから、約10か月で世界10位前後から世界1位になったそうです。
クインさんに「世界一になれると思うか」と聞かれ、国枝さんは「なりたい」と答えました。するとクインさんは、こう助言したそうです。
「なりたいではなく世界一だと言い切るようにしなさい」
国枝さんは試合前、鏡の中の自分に「オレは最強だ!」と言い聞かせてきました。ラケットのフレームの内側には、この言葉を書いたテープを貼っています。ポイントを続けて失ったとき、それを見て勇気をもらうと報じられています。
本人は、この言葉を次のように説明しています。
「『オレは最強だ』というのは断言するトレーニングだったんです。」
源2:笑顔を取り戻そうとした母の育て方
車いす生活になった息子のために、母・珠乃さんは自宅にバスケットボールのリングを設置しました。家を放課後の遊び場にして、毎日5〜6人の友だちが集まっていたそうです。
「私にしたら、あれだけ外を駆け回っていた子がしょんぼりしているのを見るのはつらくて。前の笑顔を見たいな、というのがあったので。」
車いすテニスを勧めたのも母でした。のちにプロ転向を決めたとき、周りに反対の声もあるなかで、母は賛成してくれたと国枝さんは振り返っています。
源3:長く支えたコーチと仲間
国枝さんのそばには、長く指導した丸山弘道コーチがいました。2016年の時点で、指導は14年に及んでいたと紹介されています。アテネ大会のあと、活動資金に苦しんだ時期もともに過ごしたと報じられています。
ダブルスでは、齋田悟司さんと組んでアテネで金メダル、北京とリオで銅メダルをとりました。メンタルトレーナー、コーチ、仲間。チームで戦ってきたことも、強さの土台だったとも考えられます。
国枝慎吾に学ぶ、真似できる3つの突破法
1. 「なりたい」ではなく「言い切る」
目標を「〜したい」で終わらせず、言い切る形で口に出してみましょう。国枝さんにとって「オレは最強だ」は、気合いではなく断言の練習でした。
2. 苦しいときに見る「一言」を用意する
ラケットのテープのように、目に入る場所に自分を支える言葉を置いておきます。スマホの待ち受け、手帳の表紙、机の端でもかまいません。流れが悪いときこそ役に立ちます。
3. 負けたらチャンス、勝ったら自分を疑う
うまくいかないときは伸びるきっかけに、うまくいっているときは見直すきっかけにします。肘の手術のあとにフォームを作り直したように、結果に合わせてやり方を変える姿勢です。
国枝慎吾をもっと知るための本
本人の著書『国枝慎吾 マイ・ワースト・ゲーム』
国枝慎吾さんと稲垣康介さんの共著(朝日新聞出版、2024年)。副題は「一度きりの人生を輝かせるヒント」です。
『車いすテニスの革命』
本條強さん著(山川出版社、2023年)。副題は「国枝慎吾選手ゴールデンスラムまでの軌跡」です。
国枝さん監修『国枝慎吾に学ぶ!自分らしく輝くためのセルフ・コーチング』
豊嶋建広さん・井下佳織さん著、国枝慎吾さん監修(BABジャパン、2025年)。
価格・在庫は各ショップの商品ページでご確認ください。
国枝慎吾の活躍を映像で見る(公式動画)
まとめ
- 9歳で脊髄腫瘍により車いす生活になり、11歳で母の勧めから車いすテニスを始めた
- パラリンピック金メダル4個、四大大会通算50勝、2022年に生涯ゴールデンスラムを達成
- 肘の2度の手術や不調を経て、東京大会でシングルス3度目の金メダル
- 2023年に世界1位のまま引退し、国民栄誉賞を受賞
「本当はメンタルが弱い」と認めたうえで、「オレは最強だ!」と言い切る練習を続けた国枝さん。強さは生まれつきではなく、言葉と支えてくれる人たちの中で育てていけるものだと教えてくれます。まずは今日、自分を支える一言を決めてみませんか。
関連記事


参考にした資料
- パラサポWEB「国枝慎吾」選手プロフィール
- 東洋経済オンライン「4回金メダルの国枝慎吾が『障害受容』に至るまで」(2024年8月)
- 日本パラリンピック委員会 ユースアスリート研修会メッセージ(PDF)
- Number Web「メンタルトレーナーが明かす“五輪金メダル秘話”」(2022年1月)
- PRESIDENT Online(2021年9月)
- SPREAD「国枝慎吾現役引退、そして国民栄誉賞へ『俺は最強だ!』伝説ができるまで」
- SPREAD「国枝慎吾、東京パラの『俺は最強だ』伝説をふり返る」(2021年9月)
- web Sportiva「車いすテニス・国枝慎吾が涙の金メダル」(2021年9月)
- web Sportiva「国枝慎吾と14年。丸山弘道コーチが描くリオでの夢」(2016年1月)
- 時事通信「国枝さんが引退会見『やり残したことない』」(2023年2月)
- Miami Open公式「2024 Miami Open Welcomes Wheelchair Tennis」(2024年)
- 内閣府「国枝慎吾氏に対する国民栄誉賞の授与」(2023年3月)
- nippon.com 国民栄誉賞受賞者一覧(2023年3月更新)
