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※この記事は2026年11月時点で公開されている報道や書籍の抜粋をもとに書いています。最新の情報は本人の発信や公式発表でご確認ください。
何十年もテレビの第一線に立ち続け、いつ見ても笑っている明石家さんま。「お笑い怪獣」と呼ばれるその姿からは、悩みや苦労とは無縁の人生に見えるかもしれません。
けれど、さんまさんの座右の銘「生きてるだけで丸もうけ」は、決して軽いノリの言葉ではありません。幼いころの母との死別、家族を襲った火事、そしてふだん使っていた時間帯の便が墜落した日航機事故。いくつもの出来事をくぐり抜けてきた人だからこそ、たどり着いた言葉です。
この記事では、報道や本人の発言で確認できる範囲で、さんまさんが向き合ってきた逆境と、それを笑いに変えてきた生き方をたどります。
明石家さんまのプロフィール
| 本名 | 杉本高文 |
| 生まれ | 1955年、和歌山県生まれ。生後まもなく奈良県へ |
| 所属 | 吉本興業 |
| 座右の銘 | 生きてるだけで丸もうけ |
| 家族 | 長女は芸能人のIMALUさん |
明石家さんまの生い立ち|2歳で母と死別
さんまさんは、2歳10か月のときに実の母を亡くしています。あまりに幼かったため、母の顔は覚えていないそうです。テレビ番組では、葬儀の日に飼い犬にかまれた左腕の傷について「母の思い出は、この傷だけやねん」と語っています。
その後、父は再婚します。兄と弟にはさまれ、家族の関心が自分に向いていないと感じる寂しさもあったと伝えられています。
転機は10歳ごろ。夏休みに親戚の家で有名人のものまねをしたところ、大ウケしました。人を笑わせると、自分に目を向けてもらえる。その喜びから、さんまさんは家族や親戚を笑わせることに夢中になっていきます。笑いは、さみしさを抱えた少年が自分の居場所をつくる方法でもあったのです。
売れっ子になってからも続いた試練
実家の火事で弟を亡くす
人気芸人として忙しくなっていた1983年4月、奈良の実家が火事で全焼し、家業を手伝っていた19歳の弟さんが亡くなりました。当時の新聞が伝えています。
「朝、いつも芸能界やめようと思う」
テレビで見るさんまさんは、いつでも全力で明るい人です。それでも1994年のテレビ出演では、毎朝のように芸能界をやめようと思い、マネージャーに起こされてやっとの思いで仕事に向かっていた、という趣旨のことを語っています。いつも笑っている人が、いつも元気だったわけではないのです。
日航機墜落事故と「生きてるだけで丸もうけ(丸儲け)」|広まった「搭乗予定」説の真相
1985年8月12日、日本航空123便が群馬県の山中に墜落し、520人が亡くなりました。
この事故については長年、「さんまさんは123便に乗る予定だったが、『オレたちひょうきん族』の収録が早く終わったので別の便に替えて助かった」という話が、新聞やネットで繰り返し紹介されてきました。
さんま研究家エムカクさんが指摘した「誤り」
しかし、1993年からさんまさんの発言を記録し続け、評伝『明石家さんまヒストリー』を書いたエムカクさんは、この「搭乗予定」説は正確ではないと指摘しています。
エムカクさんが事故から35年の2020年8月12日に公開した動画の説明によると、さんまさんは事故の前日に、同じ便で移動していたとされています。また、ラジオ『ヤングタウン』でさんまさんと共演していた長江健次さんに確認したところ、長江さんが8月12日、123便の一便前の便に乗っていたことがわかったと説明されています。
放送作家の和田尚久さんも、さんまさんは事故の数週間前まで同じ時間帯の便で東京から大阪へ移動していたものの、番組の収録曜日が変わり、一日早く大阪へ帰っていた、とエムカクさんらの検証を紹介しています。広く知られた話は、こうした事情が混ざって伝わったものとみられます。
つまり、さんまさんが「乗る予定だった便を収録の都合で替えて助かった」という劇的な話は、確かな根拠に基づくものではありません。ただ、さんまさんがふだん東京と大阪の移動に使っていた時間帯の便が墜落したことは、エムカクさんの説明とも重なります。身近な便で多くの命が失われた出来事は、さんまさんにとって重いものだったとも考えられます。
生きてるだけで丸もうけ
さんまさんの座右の銘。日航機事故と結びつけて紹介されることの多い言葉です。長女のIMALUさんの本名「いまる」も、この言葉を縮めてさんまさんがつけたと、IMALUさん本人が明かしています。
生きているだけで、それはもう「もうけ」。失ったものを数えるのではなく、いま生きていることを出発点にする。この言葉は、さんまさんの笑いの土台そのものと言えるかもしれません。
大竹しのぶとの結婚と離婚|別れても続く関係
『男女7人夏物語』での共演から結婚へ
さんまさんと大竹しのぶさんは、1986年のドラマ『男女7人夏物語』(TBS)で共演しました。さんまさんは、大竹さんが17歳で出演したNHKの朝ドラ『水色の時』のころから大竹さんを見ていたと紹介されています。共演当時の大竹さんは、病気の夫と暮らしていて、さんまさんに恋愛感情はなかったとされています。
2人は1988年に結婚しました。さんまさんはのちにテレビ番組で、大竹さんに女優をやめてもらうことが結婚の条件だったと明かしています。
「結婚する時に奥さんに女優やめてもらう条件で結婚したのは確かやねん」
額に「×」を描いた離婚会見
けれど、大竹さんは結婚後に仕事を再開します。さんまさんはラジオで「仕事をやめることが条件で結婚して、(大竹が)仕事を始めたんで、これ違うぞってケンカになったり」と、すれ違いのひとつを振り返っています。
1992年9月、2人は離婚しました。さんまさんは離婚会見に、額に「×」印を描いて登場し、報道陣を笑わせたと伝えられています。
「バツイチですわ。あとでカミさんはバツを2つ付けて出てくると思います」
人生の大きなつまずきでさえ、会見の場で笑いに変える。その姿勢は、つらい出来事を何度も笑いにしてきたさんまさんらしさそのものとも考えられます。
「条件全部飲みました。子供に会いたいから」
その後、さんまさんは離婚を何度もトークのネタにしてきましたが、2014年のテレビ番組では、離婚の条件について「条件全部飲みました。子供に会いたいから」と語っています。
離婚後も家族とは連絡を取り合い、親族の集まりにも顔を出していると報じられています。つらい出来事を笑いにしながらも、大切なものはきちんと守る。そのバランスに、さんまさんらしさがあります。
30年以上たって、ふたたび同じ作品に
2021年、さんまさんが企画・プロデュースした劇場アニメ『漁港の肉子ちゃん』で、主人公・肉子ちゃんの声を担当したのは大竹さんでした。大竹さんは出演決定をInstagramで報告し、知り合って30年以上になる2人がまた一緒に仕事ができることを喜んでいます。
「今度さんまさんがプロデューサーの映画に声で出演する事になりました」
出典:大竹しのぶさんのInstagram(デイリースポーツ(2021年3月)で紹介)
2023年のテレビ番組では、さんまさんの尊敬するところを聞かれた大竹さんが「普通でいるところ」と答えています。新幹線で知り合いにあいさつされ、座ったまま頭を下げた大竹さんに、さんまさんが「相手が立った時は(自分も)立たなあかんで!」と言ったエピソードも明かし、「当たり前のことなんですけど、そういうことも記憶に残ってますね」と話しました。
夫婦としては別れても、仕事仲間として、子どもの親として、関係は続いています。ドラマ『男女7人夏物語』や『漁港の肉子ちゃん』は、下の作品紹介で見ることができます。
明石家さんまに学ぶ、逆境を越える3つのヒント
1. 「いま生きている」ことを出発点にする
うまくいかないことが続くと、足りないものばかりに目が向きます。「生きてるだけで丸もうけ」は、その見方をひっくり返す言葉です。何かを失っても、今日を生きていること自体がプラスから始まっている。そう考えるだけで、次の一歩が少し軽くなります。
2. 笑いを「居場所をつくる力」として使う
少年時代のさんまさんにとって、笑いは自分に目を向けてもらうための方法でした。笑いは、人と人の距離を縮めます。自分を下げる笑いではなく、場を明るくする笑いは、どんな場所でも自分の居場所をつくる助けになります。
3. 「やめたい朝」があっても、今日は行く
毎朝やめたいと思いながらも、さんまさんは仕事に向かい続けました。やる気に満ちた日ばかりでなくてもいい。気持ちが乗らない朝でも、とりあえず今日だけは行く。その積み重ねが、何十年も続くキャリアになったのです。
明石家さんまの人生をもっと知りたい人へ
この記事で紹介した生い立ちや日航機事故のころのエピソードは、さんまさんの発言を長年記録してきた著者による本などで、くわしく読むことができます。
「生きてるだけで丸もうけ」の時代をたどる
さんまさんの発言を記録し続けてきたエムカクさんによる評伝シリーズの第2巻。1982〜1985年、日航機事故のころまでを描いています(新潮社)。
テレビの現場から見た「人間・さんま」
吉川圭三さんによる新書。テレビの第一線で活躍し続けるさんまさんの人物像に迫る一冊です(新潮新書)。
さんまさんの作品を観る
さんまさんが企画・プロデュースした劇場アニメ
『漁港の肉子ちゃん』は、さんまさんが初めて企画・プロデュースした劇場アニメ映画。原作は西加奈子さん、アニメーション制作はSTUDIO4℃。漁港の船に住む母娘の物語です。
さんまさん出演のドラマ『男女7人夏物語』
さんまさんと大竹しのぶさんが出演したテレビドラマです。
価格・在庫は各ショップの商品ページでご確認ください。
まとめ|明石家さんまの逆境と「丸もうけ」の生き方
- 2歳10か月で母を亡くし、少年時代は人を笑わせることで自分の居場所をつくった
- 1983年には実家の火事で弟を亡くし、売れっ子になってからも「毎朝やめようと思う」時期があった
- 1985年の日航123便墜落事故は「さんまさんが乗る予定だった」と広く伝えられてきたが、さんま研究家のエムカクさんはこの説の誤りを指摘している
- 座右の銘「生きてるだけで丸もうけ」は、長女IMALUさんの名前の由来にもなっている
いつも笑っている人は、悲しいことがなかった人ではありません。悲しいことを知っているからこそ、笑うことを選び続けている人なのかもしれません。つらい日が続くときは、さんまさんのこの言葉を思い出してみてください。生きてるだけで、丸もうけです。
ほかの芸人の「突破」も読む


参考にした資料
- 文春オンライン(エムカク『明石家さんまヒストリー1』より、2020年11月)
- 文春オンライン「朝、いつも芸能界やめようと思うのよ」(エムカク『明石家さんまヒストリー2』より、2021年7月)
- エムカクの【明石家さんまヒストリーチャンネル】「【1985年8月12日】明石家さんまと日航機墜落事故」(2020年8月12日、動画の説明欄に訂正情報あり)
- note(織田祐二)「未だ散見される『明石家さんまはあの便に乗る予定だった』という記述」(2023年5月)
- 和田尚久さんのXの投稿(菊水丸さん・エムカクさんの検証の紹介)
- 東スポWEB 日航機墜落事故30年の記事(2015年8月。広く流布した「搭乗予定」説を伝えた例)
- デイリースポーツ 奈良の実家火災の報道(1983年4月)
- デイリースポーツ「さんま 離婚条件承諾は子供に会うため」(2014年12月)
- PRESIDENT Online(ラリー遠田、2019年3月)離婚会見と『男女7人夏物語』
- 日刊ゲンダイDIGITAL 額に「✕」を描いた離婚会見(2026年1月)
- デイリースポーツ「さんま 大竹と結婚条件は『女優引退』」(2015年6月)
- デイリースポーツ さんまさんがラジオで語った離婚の背景(2021年5月)
- デイリースポーツ 大竹しのぶさん、さんまさんプロデュース映画に声で出演(2021年3月)
- デイリースポーツ 大竹しのぶさん、さんまさんの「普通」の感覚を尊敬(2023年1月)
