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借金地獄から這い上がった芸能人

芸能界は華やかなイメージがありますが、その裏では借金に苦しむ人も少なくありません。しかし、そんな借金地獄から這い上がり、成功を収めた人もいます。今回は、借金地獄から脱出した意外な有名人10人を紹介します。彼らの壮絶なエピソードには、驚きや感動が詰まっています。

目次

阿部寛

阿部寛は、1964年(昭和39年)6月22日生まれ。神奈川県横浜市出身の俳優です。

大学時代にデビュー

中央大学理工学部在学中の1985年、お姉さんに勧められて「集英社第3回ノンノボーイフレンド大賞」に応募し、優勝しました。優勝商品の車が欲しかったという動機でしたが、これがきっかけでモデルとしてデビューしました。

雑誌『ノンノ』や『メンズノンノ』のカリスマモデルとして活躍し、世界で最も同じ雑誌の表紙を連続して飾った人物としてギネスブックに掲載されました。

1987年には映画『はいからさんが通る』で俳優デビューも果たしました

バブル崩壊で数億円の借金

しかし、俳優を主として活動するも、ファッションモデル出身という肩書きと顔立ちから、ありきたりな二枚目の役しか与えられないうえに、背が高すぎてドラマの仕事が安定せず、次第にドラマの仕事が減っていきました。低迷期、彼の生活を支えていたのがパチンコで、月10数万ほど稼いでいたそうです。

大きな焦燥感に駆られた彼は、投資用のマンションに手を出しますが、バブル崩壊とともにマンションの価値が暴落し、数億円の借金を抱えることになりました。

再ブレイク

 この現状に危機感を覚えた阿部は一念発起し、どんな小さな仕事でも真摯に取り組んだといいます。1992年に高倉健が主演するドラマで、名前のつかない端役にもかかわらず出演を希望したり、その他の舞台、ドラマ、映画で脇役を懸命にこなし、脇役として一定の地位を確保したといいます。

『TRICK』

阿部寛を一躍売れっ子俳優に押し上げたドラマは、仲間由紀恵と共演した『TRICK』でしょう。

ドラマ『TRICK』は、自称天才マジシャンの山田奈緒子(仲間由紀恵)と、自称天才物理学者の上田次郎(阿部寛)が、超常現象や奇怪な事件に隠されたトリックを解明していくミステリー・コメディです。2000年から2014年まで、テレビドラマと映画でシリーズ化されました。

ミステリーとコメディの絶妙なさじ加減が人気の秘密で、「全部まるっとお見通しだ!」というキメ台詞を吐く仲間由紀恵と阿部寛の掛け合いが好評で、数々の賞を受賞しました。

『テルマエロマエ』

2012年には、映画『テルマエロマエ』にて、『古代ローマ帝国の浴場設計技師、ルシウス』を演じ、数々の賞を受賞し人気を不動にしました。

テルマエ・ロマエは、古代ローマと現代日本の入浴文化をテーマにしたコメディ作品です。テルマエ・ロマエでは、浴槽がいわゆるタイムマシンの役割を果たしていて、ルシウスは古代ローマと現代日本を行き来するようになり、日本の入浴施設からヒントを得て、古代ローマ帝国の浴場設計技師として成功をおさめていきます。コメディタッチで進行する物語の中、阿部寛演じるルシウスが大真面目に古代ローマ帝国の浴場設計に取り組む姿が笑いを誘いました。

阿部はこの作品で第36回日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞を受賞したほか、数々の賞を受賞しました。

阿部寛の成功のカギは、借金地獄となっても腐らず、モデル時代の栄光を捨て誰の目にもとまらないような端役でも懸命に演じたことにあったのでしょう。これからの活躍も楽しみな俳優です。

明石家さんま

生い立ち

明石家さんまは、1955年7月1日、和歌山県東牟婁郡串本町で水産加工業の次男として生まれましたが、3歳で母親を亡くし、奈良県奈良市に転居しました。

高校時代はサッカー部に所属し、中学生相撲大会で2位になったこともあります。

落語家に弟子入り

1974年2月、高校3年の時に落語家の笑福亭松之助に弟子入りし、高座名は「笑福亭さんま」となり、同年9月、初舞台を踏みました。しかし、半年後に内弟子修行を放り出して、当時交際していた女性と上京しましたが、東京での生活はうまくいきませんでした。
1975年、松之助の弟子に復帰しますが、松之助は上方落語界に根回しをしてさんまを暖かく迎え入れました。芸名を「明石家さんま」に改めて再出発しました。

テレビ界の人気者に

1977年、桂三枝が司会を務める「ヤングおー!おー!」のレギュラーとなり、次第に頭角を現していきます。

1979年、テレビ番組『オレたちひょうきん族』にレギュラー出演し、人気を得ました。

1980年代には、テレビ番組『笑っていいとも!』『あっぱれさんま大先生』などに出演し、お笑い界のトップスターとなりました。

結婚、そして、離婚。借金だけが残った。

1986年7月よりTBSテレビドラマ『男女7人夏物語』、その続編である『男女7人秋物語』に主演し、いずれも最高視聴率が30%を越えました。

同番組で女優の大竹しのぶと親しくなり、1988年に結婚、同年、長女のIMALUが誕生しました。結婚を機会に8億5000万円で豪邸を購入しましたが、1992年、大竹しのぶと離婚した際に豪邸を手放すことに。バブル経済崩壊の煽りを受け、自宅は3億5000万円でしか売却できず、5億円の借金が残ってしまいました。

その頃、さんまの人気は下降線をたどっていました。5年連続して1位であったNHKの『好きなタレント調査』で15位にまで急落していたのです。

「金額が大きすぎて、もう『死ぬ』か『しゃべる』かどちらかの選択しかないと考えていたそうです。さんまは、当時よく、声が出ない夢を見ていたといいます。億単位の借金と陰りゆく人気に、そうとうなプレッシャーを感じていたのでしょう。

しかし、さんまは借金を返済すべく仕事量を増やし、努力を続けました。

2000年代以降、さんまは、テレビ番組『痛快!明石家電視台』『踊る!さんま御殿!!』『ホンマでっか!?TV』『さんまのお笑い向上委員会』などで喋りまくり、現在もお笑い界の第一線で活躍しています。現在では、年収10億円以上とも言われる大物タレントになっています。

矢沢永吉

23歳の時に伝説的バンド「キャロル」でデビュー、26歳でソロ活動を始めた矢沢永吉。

 順風満帆な活動をしていた1998年、オーストラリア・ゴールドコーストに予定していた高層ビル建設のため約35億円を出資。ビルにはレコーディングスタジオなどが入る予定でした。

知り合いの海外のコーディネーターにビル管理を依頼し、現地に法人会社を作りましたが1997年、現地にあるはずの会社が空き家となっており、コーディネーターも失踪。購入した土地とビルは競売にかけられ、別のオーナーに変わっていました。

責任者で古くからの友人でもある人物に、融資の担保に利用され、土地を無断で売却されてしまったのです。34億円という巨額の詐欺事件は、オーストラリア犯罪史上2番目の被害額だそうです。

 

困難を乗り越える

精神的ショックは相当なもので、寝ても覚めても過呼吸を繰り返すほどだったそうですが、持ち前のロック魂で15~16年かけて借金を返済したそうです。

まとめ

一見、華やかに見える芸能人も、裏では相当な苦労をされている方が多いですね。

今をときめく一流芸能人がかつては借金地獄に悩まされていたなんて意外ですが、それを跳ね返すパワーがあるからこそ、一流でいられるのですね。

現在、借金で悩んでいる方もあきらめる必要はありません。上に挙げた芸能人のように、地道に借金を返済していくこともできますし、自分の収入に見合わない巨額の借金がある場合でも、法的な制度を利用して借金を返済することができます。その方法は下のサイトに書いてありますので、借金に悩んでいる方は参考にしてください。

俺のファイナンス 債務整理の方法

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